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スペインへの旅13 アルハンブラ宮殿




アルハンブラ宮殿への入り口ゲート。


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アルハンブラは、異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体です。

8世紀初頭までこの地は西ゴート国で、その後イベリア半島全域がイスラム圏となり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバが建てられていました。

アルハンブラとは、アラビア語で『赤い城塞』を意味するアル・ハムラが、スペイン語において転訛したものです。

11世紀前半から、キリスト教徒の国土回復運動であるレコンキスタが本格化し、13世紀にはイスラム圏に残されたのは、グラナダを中心とするアンダルシア南部地方のみとなり、アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、この時期に建国したイベリア半島最後のイスラム王国、ナスル朝の時代に入ってからです。

ムハンマド1世、その子ムハンマド2世が60年も歳月をかけ、水道を設置し、アルカサーバの拡張工事を行い、宮殿を造りました。
その後も歳月と共に建物や塔が建築されていき、黄金時代を築いたのはユースフ1世とその息子のムハンマド5世の時代。

1492年、レコンキスタによってグラナダが陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わり、カルロス5世がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されています。





国営ホテル「パラドール」の入口。 「パラドール・サン・フランシスコ」、フランシスコ修道院を改造した人気№1のパラドール。



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サンタ・マリア教会。


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モスクのあったところに西洋建築の教会が建てられたものです。




カルロス5世宮殿。


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正方形の建物です。





カルロス5世の宮殿は、レコンキスタ終了後に建てられた宮殿。16世紀のルネサンス様式で建てられています。


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入口から中に入ります。


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中は円形の石畳の中庭。


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中庭はコンサート会場としても利用され、グラナダ国際音楽舞踏祭が開催されるそうです。


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現在、1階はアルハンブラ博物館、2階は美術館になっています。


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ブドウ酒の門。


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この門には「神のみが勝利者」と刻まれているそうです。この門を境として、住宅街と軍事要塞アルカサバに二分されていました。

ぶどう酒の門という名前は、門の内部にあったぶどう酒市場がもとになって付いたという説が一般的だそうです。昔は大勢の人々で賑わっていたのでしょうね。





アルハンブラ宮殿の西に位置するアルカサバ。


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アルハンブラで最も古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いた、難攻不落の要塞。
アルカサバの上にはベラの塔があり、グラナダの街が見渡せるそうです。



アルハンブラには7つの宮殿があったと伝えられますが、今はナスル朝宮殿群の「メスアール宮」「コマレス宮」「ライオン宮」と、最も古いと言われる「パルタル宮」、計4つの宮殿と、谷を挟んだ離宮ヘネラリーフェ、砦アルカサバが残っています。

アルハンブラ宮殿は、その優美さに反して、血塗られた歴史で覆われています。
ナスル王朝では、権謀術策、暗殺、王位簒奪、復讐‥‥が繰り広げられていました。最後の75年間には、王様は9人で、戴冠式は18回も行われています。
最後の王ボアブディルも、実父ハッサンを追い出して王位に就いています。






宮殿入口。


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アラベスク模様の中にアラビア語が彫り込まれていて、ここにも 「神のみが勝利者」が描かれているそうです。





メスアール(政庁)の間。


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木組みの天井が印象的です。





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現存するアルハンブラ宮殿の中でもっとも古い建物で、王の政務や会議、裁判に利用されたそうですが、王宮の中で最も改造されました。

装飾はグラナダを征服したキリスト教徒たちによって改修され、本来この部屋には、ナスル王朝の時代はステンドグラス越しに陽の光が射し込む明かり取りがあったらしいのですが、キリスト教徒によって現在の木の天井に変えられてしまったそうです。





イスラム建築の特徴、タイル。


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違和感がある木製の欄干は、聖歌隊席としてキリスト教時代に改装されたものです。






中庭から眺めた外壁。漆喰とタイルが美しく施されています。


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コマレス宮。アラヤネスの中庭からの眺めです。アラヤネスとは天人花の植込みがあることから名付けられました。



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南北35m、東西7mの大きな長方形の池にコマレスの塔が写り込んでいます。
コマレスの塔は高さが45mあり、アルハンブラ宮殿にある塔の中で最も高い塔となっています。 コマレスという名前は、塔内部の大きな部屋を照らし出すバルコニーのステンドグラス「コマリアス」に因んでいます。




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コマレス宮の中は大使の間。玉座があり、公式の接見が行われた場所でした。


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天井はイスラムの天国にある七つの空の象徴で、四方に四本の生命の樹が伸びています。幾何学模様で覆われた杉材のタペストリーによって組み合わされています。


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三方の壁には2,5mの厚みのある壁をくり抜いて作られた小部屋が三つずつあり、それぞれの入口はアーチです。当時、この入口は、色彩が鮮やかなカーテンが吊るされていたのでしょうね。


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ここから先は、王族のプライベート空間、ライオン宮、装飾はより繊細になります。
ムハンマド5世の時代に、ライオンの中庭を中心とする建物が造られました。





ムカルナスとよばれる、アーチやドームの下部を飾る、細かな漆喰細工を組み合わせた装飾が特徴。


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鍾乳洞のような見た目の、独特な雰囲気をつくっています。





アベンセラフェスの間。


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星形の天井を飾るムカルナス。


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こんなに美しい部屋なのに、惨劇の逸話が残る部屋です。

アベンセラヘス家はアルハンブラ宮廷の華との誉れ高き騎士階級の頂点に立った一族。
アベンセラヘス家の騎士と王妃の密通を知った王がアベンセラヘス家縁の36人の首を刎ねたといわれています。実際は密通云々よるアベンセラヘス家と対抗勢力による権力闘争による惨劇だったとか。





アーチ型の柱廊が、ライオンの中庭へと立ち並んでいます。


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諸王の間の前部屋。部屋を仕切るアーチの連続が見事です。



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正方形の天井にもムカルナス。



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石膏でできた9種類の三角形や四角形のパーツを組み合わせてつくるそうです。

諸王の間には歴代10人の肖像画が描かれているそうですが、工事中で残念ながら見ることはできず。





ライオンの中庭は修復中で、覆いがかけられていました。


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なので、雰囲気がいまいちでしたが、ライオンの噴水からは水がでていました。



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犬のようなライオンですが。





アルハンブラで最も美しいといわれている二姉妹の間。


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真っ白ではなく、よくみるとひとつひとつのパーツに絵が描かれ彩色されています。

二姉妹の間の「二姉妹」とは、床の噴水横に敷かれた大きなアルメニア産の2枚の同じ形をした大理石の敷石に由来します。しかしいまはその敷石はありません。床は修復され、オリジナルではなくなっているからです。





二姉妹の間の奥に、リンダラハのバルコニーがあります。リンダラハ庭園を望むバルコニーです。


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リンダラハの中庭。



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この庭にアメリカ人ワシントン・アービングは魅了され、この奥の部屋に滞在し、「アルハンブラ物語」を書きました。


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アービングが1826年にグラナダの街を訪れた時、アルハンブラ宮殿は半ば廃墟のような状態だったそうです。
『アルハンブラ物語』は、アルハンブラとグラナダの歴史を中心としたロマンチックな物語で、アービングは1ヶ月の間、アルハンブラに滞在して物語を書き上げました。

1832年に出版されると大反響を呼び、欧米諸国では「アルハンブラを救え」と言う声が湧き上がり、募金が寄せられました。19世紀半ばには王室の命令で大規模な修復が行なわれ、いまもたくさんの観光客が訪れています。




ナスル宮殿を出て、庭を歩きます。



パルタル宮殿。


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かつては周囲に宮殿や貴族の住居などが並んでいたといいます。


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パルタル庭園。


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池の奥の建物は貴婦人の塔。


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ザクロがたくさん実を付けていました。


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遠くにヘネラリフェが。


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14世紀後半、ムハンマド5世の治世の下、壮麗なアルハンブラ宮殿と共に大いに栄えたナスル朝でしたが、徐々に国は衰退し、主要都市が次々とキリスト教勢力に攻略される。

1491年、カスティージャ王国イザベル1世とアラゴン王国フェルナンド2世の率いる連合国により包囲され、翌1492年1月2日にグラナダは無血開城し、ナスル朝は滅亡。約800年間続いた、レコンキスタ完了する。

この無血開城時の有名なエピソードをご紹介してイスラム世界の終焉としたい。

グラナダ開城後、ボアブディル王(ムハンマド11世)は家族と共に、グラナダを離れる途中、かつて栄華を極めたグラナダを一望できる丘から街を見渡し涙した。その息子に対して母アイシャは 「男として国を守り切れなかったからには女のように泣くがいい」と言い放ったといいます。




出口へと杉並木を歩きます。


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出口。



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再びバスに乗り、バレンシアへ約530㎞。

オリーブの丘が延々と続く中、バスはひたすら走りました。




途中、雪をいだいている山脈が。



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日が暮れてから、バレンシアに到着。

夕食はパエリア。



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まきガマで、火力めいっぱいで炊きあげます。


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魚介類たっぷりで、もちろんとってもとっても美味しかったです。





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