ポルトガルへの旅⑱

ポルトガル旅行5日目、ロカ岬からリスボン市西部、ベレン地区へ。

この地区には、大航海時代を代表する歴史的建造物が残されています。

ジェロニモス修道院。



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ポルトガル建築の最高峰と讃えられているだけあって、巨大。カメラに収めきれない大きさです。


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ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念してエンリケ航海王子が建設した礼拝堂をもとに、マヌエル1世によって造られた修道院。
東方交易や植民地支配で得た巨万の富が投入され、1502年の着工から300年以上もの年月を費やし、19世紀に完成しました。




南門。サンタ・マリア教会の正門です。スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって、1518年に造られました。


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真ん中は幼いイエス・キリストを抱く聖母マリア。周りを24人の聖人や高位聖職者の像が囲んでいます。

1582年に、日本の天正遣欧少年使節団がここを訪れ、壮麗さに驚嘆したといわれています。
日本の戦国乱世の時代、信長、秀吉、家康が大活躍していたころです。


天正遣欧少年使節団について、ちょっと調べてみました。

日本にフランシスコ・ザビエルが来たのが1549年。キリスト教の布教を始め、キリスト教は急速に日本に広まり、信長の庇護を受け、1580年には長崎・島原半島にキリスト教の学校・セミナリオが設立されます。

セミナリオの第1期生22人の中から、13歳から14歳の優秀な4人が選ばれ、1582年に天正遣欧少年使節団として、長崎を出発。マカオ、インドを経て、アフリカ喜望峰を周り大西洋を北上し、1584年にようやくリスボンに到着。イスパニア(スペイン)・ポルトガル国王に招かれ、歓迎される。翌年、ローマ教皇と謁見し、イタリア諸都市を訪問。
少年団は、1586年にリスボンから帰国し、1590年にようやく日本に到着。

この8年間に歴史は大きく変わり、信長亡き後、豊臣秀吉が天下を統一し、バテレン追放令が公布される。
秀吉は4人が西洋から持ち帰ったものを大いに喜び、4人は神父になるための勉強を続け司祭になるが、宣教師・信者への取締まりが一層厳しくなり、1597年に秀吉は長崎で26人の宣教師と信者を磔にする。徳川家康も禁教令を発布し、日本ではキリスト教は一掃されました。




西門から入り、サンタマリア教会。


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ヤシの木をモチーフにしたとされる支柱が高い高い天井を支えています。




マヌエル様式の文様。


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教会奥の中央礼拝堂は王の墓。


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祭壇飾りの板は宮廷画家ローレンソン作。


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詩人カモンエスの石棺。石棺の中央に筆と竪琴のレリーフが施されています。


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反対側には、ヴァスコ・ダ・ガマの石棺。


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石棺中央のレリーフは帆船、カラベル船です。安定性と速力に優れた、海洋探検に適した小型船だそうです。




教会の南壁に埋め込まれたステンドグラス。三連で、マヌエル一世、聖母マリア、王妃マリアと並び、国王夫妻の結婚式を主題としています。


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とても広い教会でしたが、日曜日だったからか、見物客で大変混雑していて、外へ出てほっとしました。




修道院のすぐ側にあるベレンのお菓子屋さん、パステイス・デ・ベレンは、ポルトガルの伝統菓子、エッグタルトの老舗店。


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ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を今もかたくなに守るお店。ポルトガルで一番おいしいエッグタルトのお店とのことで、長蛇の列。

店内でも食べられますが、現地のスタッフの方が、テイクアウトで買っておいてくださり、私たちはすぐ側の公園でいただきました。



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公園は、のんびり休日を過ごす人々がたくさんいました。





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