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ポルトガルへの旅③

トマールでの見学は、キリスト修道院。

小高い丘の上、城壁の中にある修道院です。



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入口。


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入って進み、城壁の門をくぐります。


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キリスト修道院。


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1147年、リスボン北東のサンタレンの戦いに勝利した功績により、アフォンソ1世から土地をあたえられたテンプル騎士団が、この地に堅牢な城塞と聖堂を築いたのが起源とされています。

テンプル騎士団、はるか昔に聞いた事があるような、、、
ポルトガルの歴史を少し調べてみました。


イベリア半島には旧石器時代から人々が住んでいた遺跡がたくさん見つかっています。

紀元前2~1世紀にはローマ人により支配されます。

5世紀の初頭にはローマは衰退し、ゲルマン人の反乱が相次ぎ、彼らはローマに侵入、様々なローマ人の伝統を取り入れ勢力を拡大し、イベリア半島に進出。各部族は西ゴート王国に併合。ゲルマン人の統治下ではキリスト教の拡大が推進されました。

7世紀にイスラム教のもとに結束したアラブ勢力のムーア人が各地へと征服戦争を展開し始め、勢力は北アフリカの西部に達し、711年にはジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に進出し、西ゴート王国を滅ぼしました。
715年までに最北部を除くイベリア半島全域はイスラーム勢力の支配下に入り、以後6世紀にわたる支配がはじまります。

キリスト教に寛容だったことで政治的には安定しましたが、718年にはイベリア半島最北部に西ゴート系のアストゥリアス王国が建国され、レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)が始まります。
この戦いに大いに活躍したのが、テンプル騎士団。

テンプル騎士団の創設は第1回十字軍の終了後の1119年。
第1回十字軍が1099年に聖地エルサレムを奪還した後、エルサレム王国が設立され、多数のキリスト教巡礼者たちが聖地へ向かって旅をしましたが、十字軍参加者のほとんどは勝利に満足し帰国、中東地域に残されたキリスト教勢力は不安定なもので、巡礼者や旅行者がイスラムの山賊に襲われることも度々ありました。
このような事態に憂慮して聖地の守護を唱えたフランスの貴族9人が、聖地への巡礼者を保護するという目的で活動を開始したのが始まりです。

この地を賜ったのは、第2回十字軍の時です。



テンプル騎士団聖堂。


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エルサレムの聖墳墓教会に倣って12世紀後半に造られたビザンチン風ロマネスク様式(東ローマ帝国の勢力下で興った建築様式)の聖堂。16角形の円堂で、騎士たちはすぐに戦いにいけるように馬で回りながらミサに参加したそうです。




南門。


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リスボンのジェロニモス修道院を手掛けたスペイン人建築家、ジョアン・デ・カスティーリョが1515年に建造。
プラテレスコ様式(16世紀前半のスペイン・ルネサンス建築の装飾様式)、銀細工 のように繊細で豊富な浮彫装飾が施されています。


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12世紀末から16世紀まで、5世紀にわたり増改築が続けられた修道院は、ポルトガル最大の規模で、ゴシック、ルネッサンス、マヌエル様式まで、ポルトガル建築の変遷をみることができます。



中に入ったところに飾られていた像。


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沐浴の回廊。ゴシック様式です。


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かつては貯水池があり、修道士たちが洗濯や沐浴を行ったそうです。



回廊にはアズレージョ(絵タイル)が付けられています。



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テンプル騎士団には3つの階級があり、最も一般的な階級は修道士(ブラザー)。特に誓いを立てた修道士が騎士(ナイト)。そして従軍牧師の役割である聖職者(プリースト)。この他に地区ごとを統括するマスターと呼ばれる役職があり、そのマスターと騎士団全体を総長(グランドマスター)が統括する仕組みになっています。

十字軍の主要な戦闘において、テンプル騎士団はしばしば先陣を務めました。軍馬に乗った重装の騎士たちの突撃は、敵の戦線を打ち破るのに効果的でした。

多くの寄進を集め、12世紀から13世紀にかけてテンプル騎士団は莫大な資産をつくり、多くの土地を保有。そこに教会と城砦を築き、ブドウ畑や農園を作り、最盛期には自前の艦隊まで持ったそうです。

しかし14世紀初、第3回十字軍は聖地への足掛かりを失い、テンプル騎士団の軍事的役割も重要性を失っていきます。それでもなお騎士団は膨大な資産と強力な軍事力を保持していました。

フランスのフィリップ4世はテンプル騎士団の資産を没収するため、1307年10月13日の金曜日、フランス全土においてテンプル騎士団の会員を何の前触れもなく一斉に逮捕します。異端的行為など100以上の不当な罪名をかぶせ拷問。1312年に教皇はテンプル騎士団の禁止を決定し通知。指導者たちは処刑され、テンプル騎士団は壊滅します。

この建物はキリスト騎士団に引継がれ、エンリケ航海王子をはじめポルトガル王室から代々の団長を迎えました。

テンプル騎士団の名誉が回復されたのは19世紀、歴史学者が「彼らの罪状は事実無根で、フィリップ4世が資産狙いで壊滅させた」ことを明らかにしました。
2007年にはローマ教皇庁が、テンプル騎士団の裁判資料である『テンプル騎士団弾劾の過程』を公開・頒布したそうです。



沐浴の回廊に続く、墓の回廊。


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15世紀にエンリケ航海王子が増築した回廊の一つで、修道士たちの墓所となっています。




バスコ・ダ・ガマの兄弟の墓。


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ちなみに、バスコ・ダ・ガマの墓は、リスボンの聖ジェロニモス修道院にあります。



テンプル騎士団聖堂内。


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入口のアーチに描かれているのは、福音書を書いた4聖人。添乗員さんのお話しでは、マルコ - 獅子、マタイ -天使、ルカ - 雄牛、ヨハネ - 鷲が象徴的に描かれているとのこと。

ちなみに東京の聖路加病院には、聖ルカに由来しているそうです。




こちらが、南門の内側です。とてもとても高い扉、馬に跨ったまま入れると納得です。


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16角形の円堂の中心には巨大な柱があり、


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内側にはこれでもかというぐらい金泥で装飾された柱があり、


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その内側にはキリスト像。


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堂内は壁画で飾られていますが、これらは16世紀のもの。


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テンプル騎士団聖堂とつながっているキリスト騎士団聖堂の聖歌隊席。マヌエル1世の命で16世紀初めに建立されました。


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マヌエル様式の窓。大航海時代、マヌエル1世の時代に発達した建築・芸術様式で、海や船に関するモチーフを多用した装飾が特徴です。


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この窓の装飾にもロープや天球儀が描かれています。




窓の外側。


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マヌエル様式の最高傑作といわれています。




主回廊。


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16世紀、ジョアン3世時代に造られました。イタリアの影響を受けたルネサンス様式です。




建物の中央の南北に長く続く廊下の両側に、40の宿坊が並んでいます。


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中は6畳ほどの広さ。ここに4、5人が暮らしたそうです。


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食堂。おしゃべり禁止だったそうです。


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使われていた食器が展示されていました。


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食堂に隣接した厨房。


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ミシャの回廊。1543年に完成、回廊の西側の部屋にパンを焼くかまどがあり、当時はここで貧しい人々にパンが配られたそうです。


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パンが配られる日には、この門が開かれたそうです。


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ゴシック様式の廊下。


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カラスの回廊。ジョアン3世によって増築された回廊の一つで、かつては修道士たちの憩いの場でした。


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雨どいのガーゴイル。雨水は貯水池に溜められたそうです。


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ショップで売られていたテンプル騎士団のフィギュア。


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私は一番小さいのを2個ほど買いましたが、この馬に乗っている方が良かったかな。




再びバスに乗り、丘を下りトマールの街へ。


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ナバオン川が沢山の水をたたえて、滔々と流れています。



川はきれい、緑も美しく、ポルトガルがとても好きになりました。


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このレストランで昼食。


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豚とアサリのアレンテージョ風。赤パプリカをペースト状にしたポルトガルの伝統的な調味料と香草で味付けしたものらしい。


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ヴィーニョ・ヴェルデ、「緑のワイン」は、ポルトガル北部の緑豊かな土地で造られる若い微発泡ワイン。


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飲んでしまってから写していますが、軽い口当たりで、美味しかったです。



この町では4年に1度、7月上旬に行われるタブレイロスの祭りが有名だそうで、ポルトガルで最も華やかな祭りとして知られているそうで、そこ光景が大きな建物の壁に描かれていました。


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祭りのハイライトは純白の衣装を見にまとった数百人もの女性たちのパレード。頭にお盆(タブレイロ)を載せ、お盆には身長と同じ高さまで積まれた串刺しのパンが、花や色紙で飾られ、重さは30キロにもなるそうです。

町は色とりどりお花で飾られ、それはそれは華やかだそうです。



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再びバスに乗り、ポルトへ。

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