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ギリシャの旅⑳

ギリシャ最後の日、ホテル出発は午後3時半、オプションでミケーネ遺跡観光に参加した方もいらっしゃいましたが、私たちは自由行動、アクロポリス周辺の古代遺跡を散策しました。


古代アテネの中心地、遺跡群は遺跡公園のようになっていました。


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舗装された道路の両側には遺跡がいっぱい。



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この遺跡群からも、パルテノン神殿がよく見えます。


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ローマ時代初期(紀元前2~1世紀)のアゴラです。


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アゴラとは「人の集まる所」、ギリシア時代のアゴラの東隣に造られました。
アクロポリスで受け取った共通入場券を見せて入場。




アゴラの入口の門。


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この柱と柱の間に商店が並んでいたとされます。


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このアゴラのすぐ隣に風の塔があります。修復中でネットで被われていて、よく見られず残念でした。


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この塔は八角形で、8つの面は正確に八方位を示し、屋根のすぐ下の壁には帯状にそれぞれの方位を示すアネモイ(風神)のレリーフが描かれています。塔の一番上には風見鶏のようなトリトン像があって(現在はありません)、風が吹くとすぐ下にあるアネモイたちのどれかを指して、風の向きを示す仕組みになっていたそうです。

また各面には金属の棒が立てられ、日時計となっています。
さらに内部には、アクロポリスから流れ落ちてくる水力で動く水時計があったそうです。紀元前二世紀から一世紀の間に建造された、日時計、水時計、風向計を組み合わせた建物。



これらの遺跡の周りは住宅街。
古代アゴラの遺跡群は塀で囲まれているので、入口へと周りの道路を歩きました。

入口近くのメトロの線路です。私たちは利用しなかったけれど、メトロは料金も一律で路線も解りやすく、とても便利だそうです。


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線路の反対側は通りに沿ってレストランが立ち並んでいました。朝、開店直後の時間だったので、人はまばら。


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遺跡の見学後、私たちも一休みにお茶をいただきましたが、その頃には人がいっぱいでとても賑わっていました。





ここも共通入場券を見せて入りました。

入ってすぐ右手にあるのがアグリッパの音楽堂。



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紀元前15年頃にローマの武将マルクス・アグリッパが建造した、約1000人収容の音楽堂。


音楽堂の北側にある巨人象。


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丘の高台に建っているのはヘファイストス(火と鍛冶の神)を祀った神殿、前5世紀ごろの神殿です。


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ギリシアで最も原型を残している神殿です。


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伝説的なアテネ王テセウスのレリーフがあることから長い間テッシオンとよばれていました。


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ギリシャ神話でテセウスには様々な伝説が残されていて、とても面白いお話になっています。

旅の途中、ある国の王女と結ばれたアテナイ王は、自分の剣とサンダルを大岩の下に隠し、「もし息子が産まれて、この岩を持ち上げられるようになったら、わしの所に来るように…」と言い残して去った。

立派な青年に成長したテセウスは、このことを知ると、軽々と大岩を持ち上げて剣をゲット。一路、アテナイへと向かう。
危険だらけの陸路をあえて選び、怪力の山賊たちを次々と倒し、アテネへ。

最も有名なのは、クレタのミノタウロスの退治。
クレタ島のミノスは兄弟との王位継承争いの時に、海神ポセイドンと契約を交わし、ポセイドンの力を借りて王位に就きました。しかし、ミノス王はポセイドンとの約束を果たさず、それに怒ったポセイドンはミノスの妻に呪いをかけ、牡牛の子を産ませてしまいました。こうして生まれたのが半人半牛のミノタウロスです。

その怪物をミノス王は、迷宮に閉じ込め、その食糧として各地に対し、少年7名と少女7名を生贄として差し出すよう求めていました。アテネへの割り当ては9年に1回。その3回目の生贄にテセウスは紛れこみ、見事、ミノタウロスを退治します。

ミノタウロスを退治するためには、一度入った者は、二度と出ることが叶わない迷宮の中に入らなければならない。
その時、テセウスに一目惚れしたミノス王の娘アリアドネの助けを得て、入口から糸を伸ばし、無事生還することが出来ました。

テセウスはアリアドネに感謝し、花嫁として迎えるためにアテネに一緒に帰ることにしました。
ところが、途中に立ち寄ったナクソス島での晩、テセウスは女神アテナの「アリアドネはアテネに不幸をもたらす。彼女を置いてすぐに島を出よ」というをのお告げを受けてしまい、テセウスは苦悩しましたが、お告げに従い、眠っているアリアドネを置いて船を出してしまいました。

島に取り残されたアリアドネはテセウスに裏切られたことに気づき、絶望のあまり海に身を投げようとしました。そんなときに現れたのが酒の神ディオニュソスです。ディオニュソスはアリアドネのそばでずっと彼女を慰め、やがて自分の妻に迎え、そのときに、永遠の愛の証としてアリアドネに贈ったのが、宝石でちりばめられた金の冠です。
やがて、人間であるアリアドネが亡くなると、ディオニュソスは冠を空に上げ、それがかんむり座になったと言われています。

テセウスについて調べている途中、面白い記事を目にしました、「テセウスの船」です。
テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれを長期間保存しました。そのため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となりました。ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張。

ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じである(同一性=アイデンティティ)と言えるのか?



神殿の丘から古代アゴラを眺めたところです。


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写真の下の方が評議員の執務室跡、中央の石が並んでいるところが商店が立ち並んだ中央柱廊。



ここに円形の建物、トロスという紀元前460年に建設された評議員の執務所がありました。


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この北側には議会場が隣接していました。


古代アテネの行政、立法、軍事など、すべての決定権を持っていたのは全成年男子が参加する民会。ただし実勢に行政を司っていたのは500人の評議員で、10の部族から50人ずつ、30歳以上の男子がくじ引きで選出されたといいます。


アゴラは生活の中心、政治や経済、文化の拠点でした。市民はここで買い物をし、政治家の熱弁に耳を傾け、様々な情報交換を行いました。

ソクラテスも熱弁をふるった一人、「無知の知」の教えを説き、生涯を市民の道徳意識の改革に捧げました。しかし、無知を指摘された人々やその関係者からは憎まれ、数多くの敵を作ることとなり、紀元前399年に異端として裁判にかけられ、死刑を宣告され、この地で亡くなります。


この場所が発展し始めたのは紀元前6世紀頃から。しかし、紀元前1世紀頃から衰退しはじめ、次第に住宅地へと姿を変えていき、発掘調査が始まったには1931年。この場所にあった住宅300戸あまりを移築して大がかりな発掘調査と、その後の修復を経て現在に至っています。




水時計の跡。


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一般の市民は日常生活では、太陽の光が投射してつくる影の長さで時を知ったようですが、法廷で弁論家たちが弁明する時間は水時計で計られていたそうです。




中央柱廊。長さ約120m、幅約15mの柱廊。柱と屋根で構成された市場跡。


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コリント式の柱頭。アカンサスの葉の装飾が特徴。


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何年も前に、園芸店でアカンサスをみつけ、欲しくなり我が家の庭に植えました。枯れはしないけれど、一向に大きく育ってくれない、ギリシャのような温かいところじゃないと、だめなのかしら。




柱廊の南側は広場になっていました。


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ここも人々で賑わったのでしょうね。


続きは次回へ。




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