ギリシャの旅⑨


デルフィの町のメインストリートは道幅が狭く、フロントに全員そろってから、添乗員さんは運転手さんに連絡し、ホテルの前にバスを着けてもらって、すばやく乗り、すぐに出発。

すぐに遺跡に到着。


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デルフィの遺跡はアテネの北西、中部ギリシャのパルナッソス山の中腹にある古代ギリシャの聖地。
紀元前8世紀頃からこの地でゼウスの息子のアポロンを崇拝する信仰が始まり、紀元前4世紀頃に神殿、野外劇場、競技場や宝物庫などが建設され、人々はこぞって神託(予言の神アポロンのお告げ)を授かるため、アポロン神殿に集いました。

その後神託所は消失・破壊の度に再建されましたが、392年テオドシウス帝がキリスト教を国教とし異教崇拝の禁止令を発したため衰退し、廃墟となってしまいました。
 
デルフィの遺跡は小さな村の下に埋もれ、その存在が知られていませんでした。19世紀末にフランスの考古学隊により発掘されることとなったため、村全体が移動され、できた町が同じ山の南峰のデルフィの町、私たちが宿泊した町です。



デルフィの遺跡の入口、入ってすぐ、古代アゴラ、市場跡があります。



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店が並んでいて、ここで人々は神殿に奉げる生贄の小動物を買ったそうです。





デルフィの町にあったデルフィ遺跡の復元のジオラマを参考までに。


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古代ギリシャ人は、オリンポス山(ギリシャ北部、メテオラの北東、海抜約2900m)の雲峰に神々が住んでいると考えていて、最高神はゼウス(全知全能の神)、ゼウスの兄弟姉妹とゼウスの子供のうち選ばれた勢力のある神を「オリンポス12神」とよんでいます。
アポロンはもちろん12神のうちの一人、太陽の神。予言信託の他、音楽、芸術、学問などの守護神。

ギリシャ神話、物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられていて、草創期は、口承形式でうたわれ伝えられ、人々に語り広めたのは吟遊詩人たち。
ギリシャ神話の神々は人間的、神様なのに愛し、裏切り、嫉妬深かったり、意地悪だったり、人間の本質を極端化しているので面白く、現代まで語り継がれているのだと思います。


伝説によるとこの地は、大地の女神ガイアの聖地で大蛇ピュトンにまもられていたが、アポロンがその蛇を射殺して神託所を開いたとのこと。



海抜約600m。デル遺跡からの眺めです。


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背後の山。


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世界のへそ。古代に造られた複製品。


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神話によると、ゼウスが天上の両端から同時に二羽の鷲を飛ばし、ちょうどデルフィで出会ったのでここが地球の中心「ヘソ」だということになったそうです。

デルフィが世界の中心であることを示すへその石は、神殿の南の壁から発見され、現在は、デルフィ考古学博物館に展示されています。



各都市の宝物庫の跡。いまも遺跡の修復をしています。


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数多くの各都市の宝物庫のうちの一つ、アテネ人の宝物庫は復元されていました。



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アテネの柱廊。


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ペルシア戦争後、アテネが戦利品を治めるために建造。3本のドリス式の柱が残っています。




アポロンの神殿の柱。このドリス式の柱38本。正面と後面、各6本、各側面に15本の円柱で建てられていました。


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写りは悪いのですが、ガイドさんが説明の時に掲げていた、アポロン神殿の復元図。


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幅23m、奥行60mの神殿。


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写真の右が神殿の奥にあたります。ここで、巫女が神託をしました。

アポロンの言葉を伝える巫女はピュテイアと呼ばれ、地底から立ちのぼる霊気(ガス)を吸って忘我の状態となり、そのときに発する言葉を神官が解読して神託として質問者に渡したと伝えられています。

ギリシャ悲劇の最高傑作、オイディップスは有名です。

神託を伺う者は、まず、特別な税を払い、身を清め、犠牲の動物を捧げました。

ペルシャ戦争の時にも、スパルタの戦い後、アテネの指導者達はこの地で、デルフォイの神殿の巫女さ んにお伺いをたてました。再びペルシア軍が攻めてきたらどうしたらよいかと。
その時の神託は、 「町も神殿も焼け落ちるだろう。しかし、木の壁に頼る限り、難攻不落であ る」
この神託をどう解釈するかで指導者達の意見は分かれました。 「木の壁」とは何か。
当時アクロポリスの上のパルテノン神殿は木で造られていたので、「これはアクロポリスに立 て籠って戦えというお告げだ」と考える人たちと、「木の壁」とは船のこと である、と考えるグループがあり、 結局「船グループ」の意見が勝って、この日に備えてアテネは軍船を大量に建 造し、見事にペルシャ軍を破りました。


それから、ギリシャの旅⑦で書いたテルモピレーの戦い。
ペルシア戦争を控えて、スパルタ王は神託を聞いたところ、「王が死ぬか、国が滅びるか」ということだった。そこでレオニダスは覚悟を決め、他の都市から来た兵士を帰し、わずかな軍でペルシアの大軍に立ち向かっていったのだとヘロドトスは書いています。


紀元前335年には、アレキサンダー大王は、計画中のペルシア遠征について助言を得るため、デルポイを訪れ神託を乞い、「神は王を息子と呼び、誰も王に敵対できない」との神託を得たそうです。

予言というのものはいかようにも解釈できるもの、後付けで、当たっていると思わせるようなところもありますが、全否定することもなく、必要以上に恐れたり、信じたりせず、自分の運命は潔くうけとめて、精一杯生きるのが大切だと思います。

神のお告げは、曖昧であり、どのようにも解釈できましたが、それによって、信託の権威が失われることはなく、信託を求めて、各地から人々が集まるデルフィは国際的な情報センターとなっていたようで、情報を活用することによって、ますます名声を高めることになったと言われています。



神殿から上がったところに、野外劇場。


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アポロンの神殿を眼下に、遠くの山々まで、絶景です。


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アルゴス人の記念碑。


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向かい合う半円形の台座の上、 参道の奥に向かって右手の台座にはアルゴスの王たちの像が、左手の台座には神話のアルゴスの英雄エピゴノイの像があったといいます。




この階段を上がっていくと、競技場なのですが、がけ崩れにより、危険な状態になり、通行禁止になっていました。


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アポロン神殿から見下ろすと、道路から少し下ったところに遺跡が見えました。

アテナの聖域と体育訓練所。写真左が訓練所です。


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デルフィの人々はここに集まって女神の栄誉を讃えたといわれ、現在3本のドリア式の円柱が復元されています。


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観光後、再びバスに乗り、アラホバへ行きました、それは次回に。




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