韓国へお花見に⑥

書の出品をめざして、このところは夜中に書いています。深夜テレビを聞きながらです。
コマーシャルが耳たこになりました。

『ポン、ポン、スッポン美人』と美女が赤い着物を着て、鼓を打ちながら、何度も繰り返します。

それから、『メガネを求めて、服を買え、、、』夢のレンズの何とかかんとか。








それはさておき、韓国2日目の午後はバスで慶州へ向いました。釜山の西に位置しています。

慶州は新羅千年古都、奈良と姉妹都市で吉野桜がたくさん植えられています。



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釜山のマンションラッシュとは違い、慶州は条例で屋根は瓦葺と決められているそうで、ガソリンスタンドも瓦葺。


道路の両側に延々と植えられている桜は満開。

レンギョウもきれいでした。


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ちょっと韓国の歴史を調べてみました。

約70万年前には、韓半島(朝鮮半島)に人類が定住し始めたとされています。
日本の旧石器時代、縄文時代と同様に人々は暮らしていたようです。

古朝鮮(B.C.2333-B.C.108)
神話の中の人物である檀君(タングン)がB.C.2333に韓国最初の王国である古朝鮮を建国したとされています。

昔々、天の国に住んでいた桓雄(ファヌン)は、下界に興味を持ち、父の許可を得て3000人の配下を連れて太白山(テベク山)の神壇樹に降りてきた、そこが神市である、と壇君神話は始まります。

桓雄が世を治めているとき、毎日人間になりたいと心からお祈りをしている虎と熊が同じ洞窟に住んでいました。毎日、お祈りをする虎と熊を見て、二匹の動物にひとにぎりのヨモギとにんにく20個を渡して、桓雄は「それを食べて100日間太陽の光を避ければ人間になれる」といいました。しかし、虎は我慢できずに飛び出してしまった。熊は言いつけを守りきれいな女性に変わりました。

女になった熊は、毎日、神壇樹の下で、子どもを生めるようにして下さいと祈り続けました。そこで、桓雄は男に変身してその熊女(ウンニョ)と結婚し、子どもが生まれました。その子が檀君です。

檀君は紀元前2333年に平壌(ピョンヤン)を都にして、国名を朝鮮と呼びました。檀君はその後、1500年間、朝鮮を治めて、アサダルの山に入り、山の神になったといわれます。そのとき1908歳だったそうです。


三国時代(B.C.57-A.D.676)
韓半島とアジアの北東地域を中心に4世紀初め頃から7世紀中頃まで高句麗・百済・新羅が互いに争っていた時代。

高句麗
三国の中で最も大きな領土を有している国でした。朱蒙によりB.C.37年に建国され、韓半島の北部と南満州一帯を拠点とし繁栄しました。中国の諸王朝とも熾烈に争い領土を広げていきましたが、A.D.668年に新羅と唐の連合軍との争いにより滅亡しました。

新羅
朴赫居世により韓半島南部から生じました。B.C.57年からA.D.935年までの992年間国を守り、7世紀中頃に唐と連合し百済と高句麗を破り三国を統一しました。その後、唐は連合国から侵略国へと立場を変えました。これにより新羅は高句麗、百済からの流民と力を合わせ、唐の侵略勢力を抑え大同江~元山湾以南に韓国の歴史上最初の単一民族統一国家を建国しました。

百済
高句麗の王族である温祚が韓半島の西南部に建国。B.C.18年からA.D.660年まで国を守りました。洗練された発展した文化が花開き、特に日本に多くの影響を与えました。A.D.660年に新羅と唐の連合軍により滅ぼされました。


統一新羅時代と渤海
統一新羅時代(676-935)
統一後の新羅は文化・芸術の興隆に努め、特に仏教文化はこの時期に黄金期を迎えます。しかし、貴族層の間での覇権争いにより次第に国力が衰退していき、結局935年に高麗に併合されました。

渤海(698-926)
渤海は高句麗が滅びる頃に誕生しました。高句麗の将軍である大祚栄将軍が高句麗の難民たちからなる兵士たちと共に建国した国です。一時期は、中国の北東地域までを占める領土を有するほどの国力を保持し、失われた高句麗のかつての領土を取り戻し、高句麗を継承した国でした。

高麗時代(918-1392)
高麗は、王建により918年に建国されました。この時期、国教として定められていた仏教は、更に発展しました。ユネスコ世界文化遺産にも指定されている遺産もこの時期に作られました。14世紀後半からは次第に国力が衰えていきました。

朝鮮時代(1392-1910)
高麗の将軍であった李成桂が高麗を倒し、現在のソウルを首都としました。儒教が国の基本理念となり、朝鮮社会全般に大きな影響を与えました。1443年には世宗大王によりハングルが作られました。

日帝時代(1910-1945)
1876年、朝鮮王朝は日本から門戸を開放するよう強要され、1910年に日本により併合されました。そして、1945年に日本の降伏により第二次世界大戦が終わるまでの間、韓国は日本の統治を受け続けました。

韓国政府の樹立(1945-1948)
1945年8月15日に韓国は日本の統治から解放されました。しかし38度線を境に南韓(韓国)と北韓(北朝鮮)に分断され、南北はアメリカとソ連の臨時的な軍事統治下に置かれることになりました。1948年5月10日に国連の支援の下、韓国では大統領選挙が行われ李承晩が大統領に当選しました。そして同年8月15日、韓国政府の樹立を知らせる公式宣言が発表されました。一方1946年2月、北韓は金日成を中心とした北朝鮮人民委員会を組織し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を樹立しました。

韓国戦争(朝鮮戦争、1950-1953)
1950年6月25日の明け方、北韓は38度線を越え南への侵攻を強行し南北を武力をもって統一しようとしました。これを受け、共産主義勢力から韓国を守るためダグラス・マッカーサー国連軍最高指令官の指揮の下、世界16カ国からの軍事的支援が投入されました。一方、中国とソ連は北韓に軍事的支援を行ないました。戦争は3年間続き、1953年7月27日にDMZに位置する板門店で休戦協定が結ばれ終戦となりました。戦争は韓半島を荒廃させただけでなく、南北間の敵対感情を高め、統一をより一層難しいものにしました。


韓国のガイドさんが韓国戦争の時には、北から避難してきた人々で、釜山の人口は爆発的に増えたと言っていました。






かつての新羅の王宮は城址となり、こんもりと盛り上がった小山と石垣を車窓から眺め、すぐ近くの雁鴨池を観光。大きな人口池を有する庭園です。
1975年の発掘調査の後、庭園が再建され、新羅の王侯貴族は、ここに舟を浮かべて遊んだといわれています。


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ここでも桜が満開。


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この日は夕食後、オプショナルの観劇、「新羅千年特別公演 MISO」を鑑賞、

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照明と音楽を駆使した舞踏で、新羅の建国から善徳女王の話です。


新羅建国の物語。
6つの村の村長たちは、自分たちを導いて、村民らが従うことができる王のような存在が現れることを希望するようになりました。そうしたある日、森の中から神秘な光が発せられ、まぶしいくらい真っ白な馬がおじぎを続けているではありませんか。6人の村長らが近づいて見ると、そこには青い光が漂う一個の卵がありました。白馬は人を見ると天に上って行きました。そして卵が二つに割れて、そこから可愛い男の子が生まれました。村長らは、その青い神秘な光は天の啓示であり、白馬は天の使者、その子は天が送ってくれた人物だと受けとめて、誠意をもって育て、彼が13歳になった時、王として即位させました。

三国時代の王は皆、卵から生まれたそうです。




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