北京への旅⑫


北京の胡同を輪タクで回った後に、恭王府を見学しました。



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ここは、清の乾隆帝の臣下の和坤(わこん)の私邸として建てられました。和坤は乾隆帝に非常に重用され、巨万の富を得ますが、乾隆帝の死後には罪を問われて死罪、邸宅も没収され、王府(皇族、親王の邸宅)となり、帝から恭親王に下賜され、恭王府となったそうです。



門前には対の獅子がお決まりのように置かれていました。立派です。


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この建物は、非常に良好な状態で清朝時代の王府の姿をとどめているので、国の文化財保護指定を受け一般公開されています。


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建物の中に、模型が飾られていました。


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敷地内は東・中・西の三つの通路にあるそれぞれ三つの建物(大殿・後殿・延楼)が中心となっており、奥には「翠錦園」と呼ばれる庭園が広がっています。



建物にはすべて華美な装飾がほどこされています。


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室内も華美な装飾。


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この日は暑く、何しろ大勢の観光客、ツアーなので逸れては大変と必死でついて歩きました。
いま改めて写真を眺め、本当に美しい建物だったと思います。


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恭王府の奥にある建物の2階には、後宮の后妃の部屋が並びます。


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建物の裏の窓は、それぞれの部屋ごとに違う形。それぞれの后妃の部屋には蓄えた財宝が置かれていたと、ガイドさんの説明。


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それが盗まれない最善の方法だったとの説明。后妃はほとんど部屋から出ることなく、暮らしていたのかしら。


翠錦園。


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岩山に霧を発生させています。


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豪華な庭園でした。


この豪華な建物、庭園の主は巨万の富を得、このように華美な豪邸に住み、贅の限りをつくしたそうですが、帝の死後はあらぬ疑いをかけられ死罪。

もうずいぶん前になりますが、ビートたけしが短期間に得たお金は、失う時も短期間というようなことを話していたのを思い出しました。







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