北京への旅②

北京2日目、ホテルで朝食をすませ、バスで頤和園(イワエン)へ。


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現在、世界遺産にも登録され、北京郊外の観光の目玉となっています。


中国の立派な建物の瓦屋根の端には小さな石像が並んでいます。宮殿を守る守護神として置かれたものとか。


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それから宮殿の門の両側には、日本の神社の狛犬のように、獅子の像が対で左右に置かれています。


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向って左側の獅子は、子供を大切にしているそうです。子を踏んづけているように見えますが、守っているそうです。
右側の獅子は玉を持っています。



頤和園はとてもとても広い、皇居2つ分の広さとか。もともとは1750年に清の6代皇帝、清の最盛期に、乾隆帝が母の還暦を祝って造営した庭園だそうです。北京は盆地なので冬寒く、夏はとても暑いとのこと。

1860年に庭園を修復したのが西太后です。創建時の乾隆帝の母思いの故事にならい、第11代皇帝の光緒帝の名のもとに西太后の還暦祝い、隠居後の住居として建築させました。
その莫大な修復費に北洋艦隊の増強費を流用したということで、この頤和園という庭園は、西太后の欲の深さを示す例えによく使われるとともに、清の滅亡を早めた原因の一つに指摘されているそうです。




昆明湖というとても広い湖、人工湖だそうです。


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昆明湖に浮かぶ南湖島と十七孔橋。十七孔橋は長さ150mの石造り橋で17の穴が開いた形になっているのでその名がつけられています。

この広大な湖をつくるときに掘り出した土を盛り上げて、湖のほとりには万寿山という小高い山を築山し、たくさんの建物を建てたそうです。


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金色の逆U字型の高くそびえるポールは、ここが船着き場だという目印。




頤和園の観光スポットは長廊。


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漢字の右側に書いてあるのは満州文字。
清は、満州族のヌルハチによって満洲において建国されました。皇帝の皇后や貴妃はを一定以上の官位の満州族の子女に限られ、圧倒的多数を占める一般漢民族の子女は資格なし。
西太后も北京生まれ、父は満州人の中堅官僚だったと伝えられています。

満州文字はハングルに似ていると思い調べてみたら、ハングルは満州文字やモンゴル文字の影響が強いとのこと。


長廊は その名の通りとても長い回廊で、万寿山の南の麓に点在する建物やあずまやなどを結んでいます。
梁には江南地域の風景画や、三国志や水滸伝といった戦国歴史画、花屋鶏など自然を描いた絵が描かれています。


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同じ絵はふたつとなく、全部で8,000種類以上あるといわれていますが、もともとあった長廊の大部分は、アヘン戦争(1860年)で英仏連合軍に焼き払われましたので、現存しているのは西太后の意を汲んで建造されたものです。


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「文化大革命」時にこれらの絵も「封建的」として批判対象となり、剥ぎ取るよう指令が出されましたが、当時の係員が命懸けで、後日復元可能なように白い粉を塗り固めて目をごまかしてくれたおかげで、西太后期の絵がこんにちに伝えられているといいます。


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観光シーズンだったので、どこも人がいっぱいでした。

ボート遊びもできるよう。


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頤和園のハイライトは万寿山に建つ仏香閣だそうです。入口には排雲殿があり、西太后が自らの誕生日を盛大に祝った場所として知られ、頤和園の中でもとりわけ贅を尽くした建築だそうですが、時間がなく、長廊から湖をぐるっと回って、出口へと向かいました。





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