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四天王と大仏

毎日、福島原発で作業しているみなさんの健康を祈り続けています。

ありがとう、ありがとう。被爆した方々の今後の健康状態を思うと、言葉にできません。感謝しきれるものではない、それでものど元過ぎれば勝手なことを言い始めるのが人の常、私は感謝の気持ちを忘れずにいようと思う。

私たちはたくさんの人々、たくさんの生き物、たくさんの物に守られて生きているんだと、あらためて気づかされました。大切に生きなければ。






東大寺の続きを。

南大門をくぐって直進。左に鏡池があり、参道にはシカがたくさんいました。

そして、中門

多聞天と持国天を左右に配する二天門です。

兜跋毘沙門天立像

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多聞天は単独で祀られることがあり、毘沙門天の名前が使われます。
「兜跋」とは西域兜跋国、現在のトゥルファンとする説が一般的で、城が敵に包囲された時に毘沙門がこの姿で城の楼門に現れ、敵を退散させたという伝説に基づいています。
金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着し、腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け筒状の宝冠を被る。持物は左手に宝塔、右手に宝棒または戟。


持国天立像

DSC_2850.jpg


持国天も国を守る武神、刀を持っていることが多いそうです。






ここで四天王について、調べてみました。

いまでは転じて、ある分野における有力な四人を、俗に「○○四天王」と呼びますが。

四天王は須弥山の中腹で東西南北を護っているとのこと。
須弥山とは? 調べてみました。

仏教の世界観。やさしい仏教入門からパクらせていただきました。

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とてもつもなく広い風輪の上に水輪、その上に金輪があり、我々が住むのは海水をたたえた金輪の南に浮かぶ島。

神様の住む場所が天界で、須弥山から上、欲界・色界・無色界の三つに大きく分けられます。さらに細部に分けられていて、上に行くほど欲を離れ、物質的な色界・そして精神的な無色界になります。

欲界は地居天(じごてん)と空居天(くうごてん)の二つに分けられ、地居天は須弥山の中腹から頂上の世界です。空居天は須弥山の上空です。これから上位の世界は地上を離れ空中になります。

人間よりは、とらわれの程度が少ないのですが、ときどき欲望にとらわれる神様の世界です。ここまでは男女の区別があります。次の色界からは性別がなくなります。

この須弥山の頂上にいるのが帝釈天、四天王は八部鬼衆などの多数の配下を従えて帝釈天に仕えています。


四天王の元来は婆羅門神、古代インドの土着信仰に於ける方位の守護神として信仰されていた神で、釈迦の説法を聞き仏教に帰依し釈迦から入滅後に法を守護するよう託されました。

姿形は、インドに於いては温和な顔つきの貴人として造像されましたが、中国では甲冑を着けた武将像に変化し、その様式が我が国に伝わり殆どが中国風の四天王像です。一面二臂で怒りを表し、衣と甲冑をまとい中国の武将形をして邪鬼・鬼座の上に乗る。我が国では憤怒相で威嚇している姿に造像されました。

東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天が守っています。

持国天は国を支える・増長天は五穀豊穣・広目天は佛心及び悪の処罰・多聞天は福及び護法等の力を持つといわれます。

持物は様々であり剣・鉾(ほこ)・戟(げき)・巻子(かんす)・宝塔・宝棒等を持つが、広目天は巻子と筆を、多聞天は宝塔持つ場合が多い。

四天王は早くから日本で信仰され、飛鳥時代、聖徳太子が物部守屋との戦いで四天王に戦勝祈願したとされ、勝利の後四天王寺を建立したことが日本書紀に記録されています。






中門を回り込んで 大仏殿へ。


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ただただその大きさに圧巻。世界一の木造建築。


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桜の咲くころだったら、またより美しかったのかと。


東大寺の公式ホームページによると、長い間には盛衰興廃の歴史があったと。

855年(平安時代)には地震のために大仏さまの頭部が墜ち、その後修復。(あんなに大きな仏頭が落ちてきたとは、さぞかし怖かったと思う)

平安時代末、源平抗争さなか、平重衡の軍勢が南都を攻め、この兵火の為に1180年12月28日、東大寺も大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼失した。

焼失した大仏殿を中心とする東大寺伽藍の復興造営は、重源上人によって翌年から着手され、驚きの行動で東大寺復興という大事業を結実させ、上人の晩年には、東大寺は天平の姿をほぼ取り戻していた。

しかし鎌倉時代をへて室町時代も末になると、群雄割拠、世は下克上の気運に満ち、大和国もまた戦乱の巷となり、東大寺の大伽藍は再び焼失。

大仏尊像は雨ざらしとなり、しかも御頭を欠き、各所には損傷の痕が見られる痛ましい姿となった。大仏復興の動きはただちに始まったものの、仏頭は木芯を銅板で覆ったものであり、お堂は雨露をしのぐだけの小さな仮堂に過ぎず、しかもその仮堂も、1610年の大風で倒壊し、大仏の痛ましさはさらに増した。

時は戦国時代、世相混沌として、伽藍の復興は困難を極め、仏頭を銅板で補っただけの大仏さまは「露座の大仏」と称されるありさまだった。

江戸時代になり、公慶は大仏殿の再興のため江戸幕府に赴き、長年にわたる請願により幕府の援助も得られ、大仏さまの開眼供養を元禄5年(1692)に、さらに建築規模は約三分の二に縮小されたものの、再建大仏殿の落慶供養を宝永6年(1709)に行う事ができた。以後伽藍の整備再建は明治維新に到るまで歴代の大勧進職によって続けられ、ほぼ現在のような寺観を呈するようになった。とのことです。


―大震災が奈良県を襲ったら、また大仏様の頭が落ちるのかな。なんと不謹慎なと怒られそうですが。―



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よきお顔です。また手が慈愛に満ちています。


この大仏様は盧舎那仏坐像、名前が盧舎那(るしゃな)と呼ばれる如来様です。

盧舎那如来は仏教の教えの真理(宇宙)そのものとされてます。宇宙に広がる輝きそのもの、真実を照らし出す智慧そのものと解されているそうで、直接説法はされず、菩薩様が瞑想の中から立って説法をするそうです。

如来様とは悟りを得た方、お釈迦様は人として生まれ悟りを得、釈迦如来となりましたが、盧舎那如来様は仏教の真理そのもの。
仏教の真理そのものである盧舎那如来の教えを生身である釈迦如来がその悟りを得、人々にその教えを広めるという役割を担っているということです。

平たく例えると、株式会社仏教の社長が盧舎那如来で、営業所所長が釈迦如来、そして大日如来はというと仏という仏を統一するという秩序という存在。大日如来は、別名を大盧舎那如来とも呼ばれ、盧舎那如来をさらにパワーアップした存在です。会長さん的存在。

また、ひとつの営業所が受け持つ管轄はだいたい太陽系ぐらいの規模と言われているそうですよ。


盧舎那仏坐像の左には、虚空蔵菩薩。修復中でシートに覆われていて、残念ながら写真はとれませんでした。
虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰されています。
その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。
空海が室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説があるそうです。


右側には、如意輪観音菩薩像


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意のまま、望むままに珍しい宝物を次々に出すという如意宝珠で、人々に金銀財宝の富を与え、煩悩を破壊する法輪をもち、大きな慈悲の心で人々の苦痛から開放して智慧と幸福を与えてくれる観音様です。人間にとって都合の良い観音様のような気もします。







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