叔母の三回忌に四苦八苦を思う

6日の日曜日は叔母の三回忌でした。子どももいず、1人暮らしの叔母だったので、私が施主。
本来なら叔母の姉にあたる私の母、もしくは父が施主なのに、葬儀同様に私が執り行いました。

私は年老いていても、こういう事だけは、父や母が執り行って欲しいと思う。
お寺さんへの連絡、お供物のことやらお花の事、お返し品等等は両親で相談して決めて欲しい。連絡や買い物や送迎を行うのは厭わないが、何もしないで、私が相談しても何でもいいにはうんざりする。

ボケているわけではない、確定申告には相談日をちゃんと覚えていて行くのに、なぜ?

仏壇にお線香もあげない父親。何もしない父親に、私は以前、「年老いて出来なくなったからではなく、やる気の問題で、何でもめんどくさいと言ってやらないのが嫌だ」と言ったけれど、それに対して「何をさせたいのだ」と言う父。年寄りらしく仏壇にお線香をあげるとかお水をお供えするとかやればいい、と言っても何もやらない。
他人ならばそれほど何も思わないと思うが、自分の両親で若い頃には偉そうなことを言っていたのに何なんだ、毎日ありあまるほど時間があるのにと思う。
思い起こせば、父は偉そうなことを言いながら、自分がやりたくない事はやらずに過してきた、警察だったので出世を望まなければ、それで過せたように思う。どうしてもやらなければの時には家で文句を百曼陀羅いっていた。

今は叔母が入っている仏壇は、もう20年以上も前に、父が定年退職するときに上野の仏壇通りの安売りで買ったらしい。
以前は母が時々お茶をお供えしていたが、そのお茶がそのままほったらかしで、カビが生えて、部屋中がかび臭くなるので、私はお茶をあげないように、水にするように言ったが、それから水もお供えしていない。

私がたまにお花を供え、その後は忙しく、仏壇など拝むこともなく1週間2週間すぎてもそのまま。花は枯れるまま、水も涸れるまま。

決定的に父が嫌いになったのは、具合の悪い母をいたわらないから。以前は父の面倒を見ていた母ですが、糖尿、心臓、腎臓まで悪くなり、何もしなくなった。そんな母に父は文句は言わないが、変わりに自分がやることはなく、いたわることもなく、ただ毎日おもしろくない様子。

そんな事だから、両親の老後は私から見て決して幸せとは思えない、、、まあ、私が何を言っても変わらないので、この頃は何も言わず、なるべく見ないようにしている。それでも時々見えるのでうんざりする。

日頃の愚痴がどっと出てしまいました。


兎にも角にも、叔母の三回忌がすんでほっとしています。
景気が悪く赤字続きのスナックを、お店がお店がとやり続けていた叔母の気持ちを、今にして理解できるように思う。



お寺さんは曹洞宗、お経の後のお話、心にしみました。

四苦八苦は仏教からきている言葉、お釈迦様の教えだそうです。
生きることには四苦八苦が伴う。無知であることは最大の不幸の原因、道理を知り受けとめることがよりよく生きるという幸せにつながる。

四苦とは、生・老・病・死。八苦とは四苦に次の四苦を加えたもの、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。
愛別離苦とは、愛するものと別れる苦しみ。怨憎会苦とは、憎しみを感じるものと出会う苦しみ。求不得苦とは、求めるものが得られない苦しみ。
五陰盛苦とは、五陰(色、受、想、行、識)の苦しみ。
色とは肉体や物質的な苦しみ。例えば老化よる容姿の衰えや、容姿に関するコンプレックス。
受は感覚や印象に関する苦しみ。例えば繊細な感受性のために苦しむこと。
想は知覚、想像で苦しむこと。例えば妄想、取り越し苦労、心配。
行は意思や記憶で苦しむこと。例えば意思が弱く中毒行動がやめられないこと。
識は認識や意識で苦しむこと。例えば罪の意識、低い自己評価、プライドの高さに苦しむこと。

今も昔も人間の感情、幸不幸は変わらないと、改めて思いました。

憎しみを感じる事はないが、尊敬できない父と暮らすのも苦。子どもに疎まれている父も不幸でしょうね。かといって、昔からいろいろあったので、父にはやさしくは出来ません。良かれと思ってやったことでも決してありがとうは言わず、恩着せがましいことを勝手にしてと、嫌な言葉が返ってくるし、こちらの都合も聞かず何でも自分勝手に決める。周りが何とかする事で、何とかなっていたからなのでしょうね。

こんな、年寄り、うちだけではないと思う。自分はそんな年寄りにならないように。

そうそう、父が70才を過ぎたころ、もう年だから年々できなくなるのだから、手掛けたままほったらかしにしているものを片付けてと何度も頼んだけれども、何一つ片付けることなく、今に至っている。私は子どもや主人に手伝ってもらいながら、庭を何年もかけてようやく片付け、物置を昨年から少しずつ片付けている。

最後に蓮の花。8月の中頃に、白岡町の味彩館で撮影しました。

RIMG0094.jpg

蓮の実が、海の家のシャワーのようです。
今年も海にいかずに夏が終わった。



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2009/09/08 (Tue) 18:33 | # | | 編集

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